昭和の遺産

黒電話とテレビ

新型コロナウイルス騒ぎで、このところカラオケにも行けない日々が続いている。自分の持ち歌ではないが、他の人が歌うカラオケでいつも気になるのが、小林明子の「恋に落ちて」の歌詞である。サビのところで、「ダイヤル回して 手を止めた」とあるが、今時の人、平成生まれはダイヤルって何?と思うのではないか。昭和のダイヤル式電話からデジタル式のプッシュボタン式電話に、それからケータイ電話になり、今や電話はスマホが主流となっている。昭和の電話はダイヤル式だったと説明しないとこの歌詞は理解してもらえない。ダイヤル式で思い出すのは、昭和時代のTVのチャンネル。ガチャガチャとダイヤルを回して選局していた。

昭和初期のラジオやテレビには真空管が使われていた。実は、初期のロケットの誘導装置にも真空管は使われていた。トランジスタが発明されると真空管は一気に駆逐され、そのトランジスタもIC(集積回路)になり、そのICもLSI(大規模集積回路)に変わり、集積度は指数関数的に増大した。
これによって、昭和時代に電気/電子製品はめまぐるしく発展し、その多くは今やその存在すら忘れられようとしている。例えば録音・録画装置であるが、音楽再生専用のLPレコードやドーナツ板を回したターンテーブル式のレコードプレーヤーに始まり、録音再生可能なオープンリール式のテープレコーダーが出現し、カセットレコーダーに変わり、レーザーデイスクやらミニディスク(MD)、映像も録画できるDVDやら音楽用のCDなど次から次へと変遷した。我が家では子供の成長に合わせて、最初は8㎜フィルムカセット用、次に8㎜DV用、更にDVD用のビデオカメラを購入してお遊戯会や運動会を記録した。これらを再生するには、それ専用の装置が必要であるので、今でも後生大事に保管している。

技術の革新が起こるとビジネスそのものが大きく変化する。LPレコードやドーナツ版が音楽を聴くのに主流であった頃は、レコードプレーヤーのダイヤモンド針を時々交換する必要があったが、CD全盛期になってレコード針のメーカーは多くが消滅した。静止画も同じで、フィルム式のカメラから、デジカメになった時にはフィルムメーカーが駆逐され、かつて世界中の市場を席巻したコダック社も倒産した。ワープロが出現し、原稿の修正が非常に簡単になり、タイプライターは姿を消した。そのワープロも現在はパソコンが取って代わり、短い生涯を終えた。今や、音楽や映画の購入は、レコードやCDやDVDを買う時代からオンラインで購入する時代になり、レコード販売店というビジネスが成立しなくなった。

さて、カラオケの話題に戻るが、イルカが歌った「なごり雪」にも昭和のフレーズがある。冒頭の「汽車を待つ君の横で」を聴いた若い人は、「汽車」って何?と思わないか。実はこの曲の作詞作曲は伊勢正三さんで、私と同郷、高校の先輩である。我々は大分県の小さな町で育ち、その頃は「汽車」が走っていた。大学で都会に出て、「電車」と言えずに「汽車」と呼んで恥ずかしい思いをした。伊勢正三さんも同じ経験をしたのでは無いかと思っている。

淺田 正一郎

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