衛星設計コンテストにかかわって ー人の交わりー

衛星設計コンテスト

鹿児島市の旧西郷屋敷に向き合う2人の人物の銅像があります。一方は西郷隆盛(南洲)翁で、もう一人は庄内藩家老菅実秀(臥牛)翁です。庄内藩は戊辰の役で官軍(政府軍)に激しく抵抗したため当然降伏後の厳しい処置がなされるものと覚悟していましたが、官軍参謀黒田清隆は寛大な処分を行いました。菅臥牛翁はこれが西郷南洲翁の命令であったことを後で知ります。この扱いに庄内藩酒井忠篤公はいたく感銘し明治3年に使者を鹿児島に送り、島津公と南洲翁に親書を届け、その後の親交を懇請しました、臥牛翁自身明治8年に自ら7名の旧藩士を連れて南洲翁の教えを受けました。南洲翁の人柄、偉大さが知られるようになったのは臥牛翁が赤沢、三ツ矢の両名に命じて南洲生前の言葉や教えを集めた”西郷南洲遺訓(岩波出版) ”であり、旧藩主酒井公は数名に命じて全国に配布しました。臥牛翁と南洲翁の徳がなければこのようなことは起こり得なかっでしょう。奥州連合の仙台、会津3藩の一つ長岡藩の河井継之助は官軍に和平交渉に出向くも官軍参謀土佐出身の岩村精一郎に拒否されてやむなく抗戦の決意を固め、最後に戦死しました。人によってこうも結果が異なるという好例であり、まさに我々は歴史に学ぶべきであり、私たちは過去の歴史を切り離しては生きて行くことは難しいのではないかと思います。1868年の戊辰戦争から始まった西郷南洲と菅臥牛の親交は、今も鶴岡市と鹿児島市の兄弟都市の交わりとして続けられています。

小山先生
鹿児島にある”徳の交わり”像。左の臥牛翁の前に立つのが筆者。
菅翁の号”臥牛”は、こよなく牛を愛した菅原道真公の棺を運んでいた牛が座り込んで
動かなくなり、そこを道真公の墓所としたとの逸話からとったものでしょう。

二人の人物の座る石の台には”徳の交わり”と題した黒い石版が貼り付けてあります。ここでは”徳の交わり”というにはおこがましいので”人との交わり”について私がいま深く関わっている衛星設計コンテストに関連して最近思うことを書いてみたいと思います。もっともこの西郷南洲翁と菅臥牛翁のお二人のように尊敬をもって交際を続けるには、やはりある程度の徳と知が求められることは確かのようです。

2010年頃だったと思います。正確な年は忘れましたが、台湾国立成功大学滞在中のある日、JAXA宇宙科学研究所の対外協力室の利岡女史からメールを受け取りました。メールの中身はこうです。「林先生が”衛星設計コンテストの審査委員を引き受けてくれないか”と言っておられます。ついてはお引き受け頂きたくお願いいたします。」林先生(現衛星設計コンテスト名誉会長)からのご命令?だと言われると、これは断われません。JAXA宇宙科学研究所の前身の東大宇宙航空研究所宇宙科学研究所に拾って頂いて以来、ほぼ毎日、同じ年頃の若者たちがいた隣の林研究室に出入りして、昼夜色々なことを教わりお世話になっていたので、”審査委員”ぐらいで一部恩返しできるならと快諾しました。

ところが最初の審査委員会に臨んでみると私の席には”審査委員”ではなく、最後に”長”がついていました。対外協力室によく出入りしていたので、利岡女史は私のことをよく知っておられます。私のことだから審査員”長”と聞くと引き受けないと見た利岡女史の計略にまんまとはめられました。さすが長いお付き合いです。それから審査委員長、実行委員会委員、監査委員、そして2年前に前会長の折井氏の後を継いで会長の重責を引き継ぐ羽目になりました。

自発的に会長をお引き受けしたわけではないにしても前会長の面目も潰すことのないように、衛星設計コンテストが益々盛んになるように微力を尽くしたいと考えるのは当然です。そうでなければこの職にと留まる理由はありません。衛星設計コンテストをよりよくするためにまずやるべきことはコンテストの参加者数を増やす事です。日本の高校の数は公立3,472校、私立1,321校(平成30年調べ)、高専は国立57校、公立3校、私立3校、そして大学は国立82校、公立90校、私立589校です。一方衛星設計コンテストの応募数は最多数の2018年の60件でこれはあまりにも少ない数だと思います。衛星設計コンテストは応募してきた宇宙でできる実験を日本の5学会から派遣された宇宙の最前線で働いている12名の審査委員が丁寧に読み一つ一つに対してコメントを返すというシステムはユニークな教育プログラムで、使い方によっては高校、高専の先生方のお手伝いもできる筈です。衛星設計コンテストの有用さとその存在をもっと世の中に知らしめる必要があります。また審査員のご苦労にも応えたい。応募数が増えると必然的に質も上がります。2番目はこのコンテストをアジアの国々に広げる事です。これには2つの理由があります。まず短期的には、若いうちに外国の空気に触れてもらうことで、短時間であってもその効果は大きいことはアジア・太平洋地域宇宙機関会議(APRSAF)の宇宙教育ワーキンググループで始めた水ロケットアジア大会でインドネシアに送った高校生の成長ぶりからも実感しております。長期的には外国研究者との交流も増え最終的には日本の宇関連事業の拡大に貢献できるかもしれません。逆に宇宙関連の企業も積極的に衛星設計コンテストという5学会の審査委員で構成される権威ある行事を、もっと盛り上げ、利用してもらいたいと思います。3番目は実際に衛星で実験したいグループにはその道を作る事です。実際に手を動かし、自分達で作った測定器を実際に宇宙に飛ばす事の感動をぜひ味わってもらいたいと思います。その教育効果は簡単には評価できないほど大きいと思います。最初は観測ロケットの極一部をこの目的に使わせて頂くことを考えています。外国では米国のNASAをはじめ随分前から、高校生、大学生にその機会を提供しています。

ところが上記の目的を実行するとなるとこれまで以上の時間と労力が必要です。現在、事務業務は日本宇宙フォーラムが自主事業の一貫と捉えて頂いており、全面的におんぶです。これ以上に日本宇宙フォーラムの負担を増やす事はできません。事務能力を上げようとすれば、実行委員の更なる協力をお願いするだけでは足りず、経費が掛かる。この他に宣伝のためにホームページを改良することは急務です。ましてや将来宇宙で実験したい青少年に実験の機会と費用の一部を提供するとすれば、結局は運営費用を増やすべきだとの結論にならざるを得ません。

現在あらあらゆる伝手を頼って寄付をお願いするため、まず説明を聞いて頂く時間を取ってくださる会社を探しています。といっても研究者一人の交際範囲は限られており、まず「寄付お願い」の説明を聞いて頂けるほど懇意にしてくださる会社は数社です。全く伝手なしで会社に手紙で寄付のお願いをしても、丁寧な断りの手紙を頂くのはいい方で、多くの場合何の返事もありません。会社に口利きしてくださるできるだけ多くの方々の助けがどうしても必要です。衛星設計コンテストは短期間で見ると純粋な教育プログラムで、利益を追求する民間会社へのこれぞと思うメリットは見つけられません。”貴社には寄付を頂いても、ただホームページへの掲載、最終審査会会場での貴社の宣伝パンフレットを置くぐらいしか貴社へのメリットはありません。また税制上のメリットもありません。しかし次代の日本を担う世代の教育の為にぜひご理解願いたい”と訥々とお願いするだけで、日本のどこかに高邁な精神を持つ会社のトップがおられることを信じてコツコツと寄付をくださる会社を探し続けるしか術がありません。自らは人を説得するだけの品格と智を疑いながらの行脚です。関連会社への寄付お願いと並行して、宇宙関連の講演を開くなど衛星設計コンテスト自ら費用の一部を捻出することも試してみる事も必要かもしれません。

寄付をお願いする過程の中で人生は人との繋がりの連続だということを益々痛感しています。審査委員長に始まった衛星設計コンテストの私の活動はもとはと言えば林研究室の方々を通じた林先生との長いご縁であり、また前会長元日本電気(株)の折井氏とは宇宙科学研究所での多くの衛星計画を通じての長いご縁でした(折井氏は2019年ご逝去)。台湾では台北近くの台湾国立中央大学、そして台南にある国立成功大学では理学の研究者だけでなく工学の研究者ともお付き合いさせて頂きました。台湾帰国後は審査委員長時代を除いて機会あるごとに衛星設計コンテストへの寄付のお願いを続けてきました。寄付のお願いに歩き回りながら、今までお会いしたことのない方々にお会いし、今まで知らなかった新しい情報を仕入れる事もできます。時にもっと早くお近づきになっていればと思う方にお会いすることもあります。これらの活動に必要な費用はすべて自分持ちですが、それ以上に得るものがはるかに大きいと思っています。

ということで2006年にJAXA宇宙科学研究所を退職してから、台湾での多くの方々との交流、そして衛星設計コンテストを通じて多くの方々に色々学ばせて頂きました。あと僅かで衛星設計コンテストに直接係ることもやめ、その後は現在休眠状態の会社を何とか軌道に載せたいと思っております。この会社はアジアの国々への衛星搭載用の測定器などを販売するのも一つの目的で登録した会社です。その時は衛星設計コンテストのアジアへの宣伝も兼ね、益々多くの人との出会いを期待しております。

SNSの氾濫する時代であっても、会わなければその人の本当の姿を知る事は難しいと思っております。よしんば顔と顔を突き合わせてもその人を知る事はよほど観察していないと困難です。若い諸君には、新型コロナウィルスの脅威が終わったらできるだけ多くの人と知り合う努力をし、将来に亘って交友できる人材を見つける努力をする一方で、自らの徳を磨く日ごろの努力をされることを強く勧めたく思います。まさに西郷南洲と菅臥牛の”徳の交わり”に続いてもらいたいところです。

参考文献:
西郷南洲遺訓 岩波文庫、新渡戸稲造論集 岩波文庫

九州大学国際宇宙研究・教育センタシニアフェロ―
台湾国立成功大学宇宙プラズマ・科学研究所客員教授
(株)アジア宇宙環境研究機構CEO
衛星設計コンテスト実行委員会会長

小山 孝一郎

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